「あの、速水さんいらっしゃいますか?」
「副社長はエルポートクラブの方に行っておりますが。」
「そうですか…。」
(おそらく)アポなしでやって来た客に簡単に副社長の居場所を教えてしまう受付嬢から、そう聞いたマヤはその足でそのクラブに向かう。
ドアを開けたマヤの目に映ったのは、ショッキングな看板(?)だった。
「速水家・鷹宮家 婚約披露会会場」
「婚約披露…。そんな…!」
ふらふらと、会場内に入ってしまうマヤ。
「速水さん…!」
「いよいよ鷹宮グループが大都のバックにつくってわけだ。」
「これで大都も安泰。益々もって、反映ってわけだな。」
「でも、お似合いのカップルだね。」
「二人とも幸せそうだし。」
その他大勢がそう噂しあう中、真澄の方に歩み寄っていくマヤ。そんなマヤに真澄が気づく。
「マヤ?」
マヤの方にすかさず歩いていく真澄。紫織もそれに気づき、持っていたグラスをドン!と置き、真澄についていく。
「やぁ、チビちゃん。」
背中を曲げ、目線をマヤに合わせてそう言う真澄。よく昔、バカにするような態度でマヤに望んでいたときのような仕草だった。
「何か用かな?」
「あら、私達のお祝いに来てくださったのよね〜。」
すかさず割り込む紫織。
「おめでとうございます。」
そう言うしかないマヤ。他にどうすればいいというのだろう、この場では。
「ありがとう。私達の結婚式には、マヤさんもぜひ出席してね。」
「はい…。お幸せに!」
そう言うなり、マヤはその場を駆け足で離れていった。
少し放心したかのように見えた真澄を、紫織が憎悪の顔で見つめる。
会場を出て一目散に走るマヤ。もう、誰にも見られないだろうというところで立ち止まり、涙ぐむ。
「わたし、バカみたい…。速水さんには、紫織さんがいたのに。バカみたい…。」
「名前や過去が何になりましょう。おまえ様が、ここにこうして生きている。それだけで私は、幸せになれるのです。そして、あなたに向いているときは、どんなにか幸せでしょう。」
紅天女のセリフ合わせをやりながらも真澄のことが頭を離れないマヤ。
「いとしい、あの方…。捨てて下され、名前も過去も何もかも…。阿古夜だけのものになってくだされ…。」
婚約披露会場での真澄達の姿が目に浮かび、思わず涙がつたう。セリフがまともに喋れない。そんなマヤに、黒沼が怪訝そうな顔になる。
「マヤちゃん…。」
涙を流すマヤを驚いた顔で見つめる桜小路。
「おまえ様と出会って、初めて自分が人間の娘だと感じることが出来たのじゃ。」
「北島!」
黒沼の怒号が響いた。
(どうしよう。涙が止まらない。どうしよう。)
「おまえ様と出会って初めて、自分が人間の娘だと感じることが出来たのじゃ。おまえ様が初めてじゃ。」
「阿古夜…。」
一方、立ち稽古に励む亜弓達。
「ハイ! そこではにかむように立ち上がって!!」
小野寺の声が響く。
立ち上がろうとする亜弓。
グキキッ!
左足が不気味な音を立てた。
梅の谷での練習中に足をくじいた亜弓は、思うように立つことが出来なかったのだ。
(足が…。)
「おまえ様が好きじゃ。」
小野寺の言葉を無視し、そのまましゃがんだまま演技を続ける。
「ハイ!」
小野寺がポンと手を叩いた。
「どうしたんだね、亜弓くん。いやぁ、それも悪くはないが立ち上がってもらわないとね。」
「すみません。」
マヤ達も立ち稽古に入る。
「おまえ様と出会って初めて、自分が人間の娘だと感じることが出来たんじゃ。」
黒沼が激しく台本を叩く。
「何度言ったら分かるんだ。阿古夜は一真に恋こがれてるんだ。つらい恋をしてるんじゃない! もう一度!」
「…おまえ様と出会って初めて、自分が人間の娘だと感じることが出来たんじゃ。」
「ダメだ!」
また黒沼の怒号が響く。
辛くて切ない…。マヤのセリフがどうしてもそこから抜け出せない。
「もう一度…!」
「おまえ様と出会って初めて、自分が人間の…。」
「もう一度。」
「おまえ様と出会って初めて、」
「バカ野郎!」
黒沼が立ち上がった。
「中止だ、中止。」
桜小路があわてて聞き直す。
「中止?」
黒沼が続ける。
「阿古夜の恋が出来なきゃ、紅天女は出来ないぞ。」
打ちひしがれるマヤ。
(出来なかった…。阿古夜の恋が…。阿古夜の恋が演じられない、阿古夜の恋が分からない。阿古夜の仮面がかぶれない…!)
そんなマヤを真澄が窓の向こうから眺めていた。
(いったい、どうしたんだ。マヤ。)
真澄の姿に気づいた黒沼が軽く会釈をする。会釈を返す真澄。
「敵情視察ってとこですか。」
その夜、黒沼の行きつけの屋台で酒を酌み交わす二人の男性の姿があった。
黒沼と真澄だった。
「ま、そんなところです。」
真澄が答える。
「稽古の方がうまく行ってないと耳にしまして…。」
さすが大都芸能社長、地獄耳である。
「見たとおりだよ、うまく行ってない。」
「紅天女へのプレッシャーからでしょうか。」
「いや、あれは恋だな。」
思わず、黒沼の顔を真澄がのぞき込む。
「恋?」
「あぁ、つらい恋でもしてるんだろ。」
マヤに言われた事を思い出す真澄。
「行かないで…。私を暖めてください。」
「お幸せに…。」
真澄の中にもつらいものが浮かんでくるようであった。
「よく、こんな足で稽古を…。」
レントゲン写真を見ながら、医師が亜弓に伝える。
「捻挫なんかじゃありませんよ、ひびが入っています。」
「ひびが…。」
「炎症を起こしています。こんなになるまでほっておくなんて…。すぐに稽古は止めてください。」
おどろいて答える亜弓。
「そんなこと出来ません。試演が迫ってるんです。」
その言葉を医師がさえぎる。
「そんなことやってたら、歩けなくなりますよ。」
月影はまだ梅の谷にいた。
マヤと亜弓が「火」の演技をやった寺の本堂でしずかに安静していたのだ。
傍らには源造がいる。
「マヤさんも亜弓さんも、稽古がうまく行ってないようです。」
どこで聞いてきたのか、稽古の様子を月影に伝える源造。
「プレッシャーのせいでしょうか?」
その言葉を聞き、月影が苦しそうに起きあがる。
「源造…、支度を…!」
「先生?」
「東京に戻ります!」
「三日後に、あなた方に阿古夜の恋を演じてもらいます。」
大都芸能社長室で、マヤと亜弓にそう告げる月影の姿があった。
(阿古夜の恋…!)
マヤが心の中でつぶやく。
「阿古夜の恋が出来なければ、紅天女を演じる資格はありません。以上です。」
その言葉を聞き、なぜか立ち上がる亜弓。しかし、痛さで顔がしかむ。
その様子を月影は見逃さなかった。
「亜弓さん、あなた…。」
「なんでしょう?」
毅然とした口調で答える亜弓。その言葉を信じるかのように、優しい口調で月影が答えた。
「がんばりなさい。」
「失礼します。」
おじぎをし、月影の前を去る亜弓。それに続いて、マヤも席を立つ。しかし、一緒にいた真澄と目が合う。しばらく、見つめ合ってしまう二人。だが、マヤは真澄から目を背けてしまう。そんなマヤに月影が声をかける。
「マヤ…?」
月影の声に、マヤは振り返る。
「はい…、失礼します!」
逃げるように、その場を去るマヤ。それを追って、真澄も部屋を出る。
「失礼します。」
部屋を出て追いかけようとするが、小走りで駆けていくマヤを見て、なぜか真澄は追うのをあきらめてしまう。
「あの子もとんでもない相手に恋をしてしまったようね。」
どうやら、月影には何もかもお見通しだったようだ。
「恋ですか…。」
源造が横で頷く。
「阿古夜の恋…。どうしよう…。三日後なんて無理よ。」
途方に暮れるマヤ。
一方、社長室の窓際では、あの男が例によってたそがれていた。
(このままでは、あの子は紅天女をやれない…。おれはどうしてやればいい?)
「何も分からぬ…、木も草も何も語りかけては来ん。」
一人で練習を続ける亜弓。しかし、足のせいで思うように体を動かすことが出来ない。
「紅天女は私の命、どんなことをしても演じてみせるわ。」
立ち上がろうとした亜弓だったが、痛みで前のめりに倒れてしまう。
「そんな足で何が出来るっていうの?」
そこへ一人の女性が入ってきた。亜弓の母、歌子だった。
「どうしてそれを?」
「お医者様から連絡があったの。」
歌子がさとすように告げる。
「イヤ!」
当然のように拒む亜弓。
「このまま続けてたら、取り返しのつかないことになるわ。二度と立てなくなる。女優としてやっていけなくなるのよ。」
「それでもかまわない!」
思わず口調の荒くなる歌子。
「なんてバカなことを…!」
亜弓が続ける。
「紅天女は私の夢よ。やっと、ここまで来たの。それなのに、私にあきらめろっていうの? いや、そんなの絶対にいや! このままあきらめるぐらいなら、死んだ方がましよ。」
おどろいた顔で亜弓を見つめる歌子。
「…亜弓。」
歌子の方を振り返り、亜弓が答える。
「ずっと、親の七光りだって言われてきた。」
亜弓の方から顔を背けてしまう歌子。
「でも、紅天女をやれば、誰ももうそんなこと言わない。だから私は、私の実力で紅天女を勝ち取りたいのよ。北島マヤに勝ちたいの。何度も何度も、あの子の前ではどんな努力も無駄だと思い知らされてきた。でも、確かめたいの。今まで自分がやってきたことが、間違いじゃなかったってことを。努力さえすれば、なんでもかなうって事を。おねがい、ママ。あたしにやらせて。夢をかなえさせて!」
「足がダメになって、二度と舞台に立てなくなってもいいのね。」
歌子の言葉に無言でうなづく亜弓。
「女優をやめる覚悟は出来てるのね。」
またうなづく亜弓。
その様子を見て観念したかのように立ち上がり、歌子が続けた。
「わかったわ。」
「…ママ…?」
「でも、舞台をやり遂げるのはあなた自身よ。やるからには、姫川亜弓の名に恥じない舞台を…!」
その言葉に、決心したかのようにうなづく亜弓がそこにいた。
またまた社長室の窓際。
「マヤさんのことでも考えてらっしゃるのかしら?」
ノックもせずに紫織が入ってきた。
「もういいでしょ、あの子のことは。あなたの婚約者は私よ…。」
そう言って、立ちつくしている真澄にキスをする紫織。しかし、真澄の体はビクとも動かない。
「私を見てください。」
「あなたの暖かさがいとしい。…、いとしいあの方。」
練習に身の入らないマヤ。
そんなマヤに我慢がならなくなった桜小路が、マヤの手を堅く握る。
「俺を見てくれ。君が誰に弾かれててもいい。でも、この芝居の間だけでも、俺を見てくれ。」
そして、マヤを強く抱きしめ、唇を奪う桜小路。
「桜小路くん…。」
他に誰もいない…。そう思われたその部屋に、突然たばこの火をつける音が響いた。
黒沼だった。テーブルの下で、居眠り(?)をして二人の様子をずっとうかがっていたのだ。
「先生…。」
なんでそこにいるの? という顔でマヤがたずねた。
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